ペスタロッチ 親の願いをそこに見る 2022年06月23日 私も教師の息子であるから、この名前は聞いたことがあった。 父が、このペスタロッチが好きだったらしい。 もう15年以上も前、島根の山奥で会った、仙人のような染色家の老師は、私の名前に「教」という文字があるからか、私を呼ぶときに「ペスタロッチよ」と呼んだ。 ずっと気になっていた存在であったが、ついに詳しく知ることはなかったのだが、ある本で、やはり、ペスタロッチのことが熱く紹介されてあり、読…続きを読む
浄められる、というところに立つ 2022年06月16日 ある晩、妻に、最近の、私が直面している語りの壁について話した。 「最近、語りで、壁にぶつかっていてね。書きことばで書かれている物語のテキストを、直に語るっているところに微妙に違和感を感じてね。それが、「話すことばなのに、書きことばになっている」という、ことばの根本的な問題のようなんだ。話しことばになると、自分がそこに表れてくる。けれども、書きことばを口にしていると、自分とことばに乖離が…続きを読む
気づき 2022年06月13日 気づき 先週木曜日、末っ子のアミクンが微熱を出したので、このご時世、病院に言って、検査を受けることになった。発熱センターに連絡してから行ったものの、待ち時間がかなりあり、しかも、隔離のためか、小部屋にて待つことになった。その小部屋には椅子と壁以外、何もなかった。 僕の方も、うっかり、絵本や、民話の本も持ってきておらず、なにも手元にない。 「混んでいまして、ちょっと待っていただくこと…続きを読む
6月のお菓子のご案内 2022年06月07日 【6月のお菓子のご案内】 気が付くと、もう6月。 梅雨のない北海道では6月であるという実感が薄くなります。 畑、そして舞台に勤しんだ先月。 無事に舞台を終えたのち、芸と心の歩みを進められた充足を味わいつつ、やはり、先に進めば、また壁にあたる。 これは常だとは思いつつも、今回の壁はあまりに大きく、ここしばらく、悩みに立ちすくんだ日々を過ごしておりました。(現在進行中です) けれ…続きを読む
友人たちに感謝をして、深く語らう 2022年06月07日 二日前、私の個人的な、ことばの芸術上の壁のことをフェイスブック等でも記事を投稿したところ、すぐに幾人かの友人からコメントをいただいたり、昨晩は、直接話したいとお電話までいただいた。こうして気にかけてくださり、そして真剣に向かい合ってくださる人がいるということは、なんと有難いことだろうと思う。 語ることについて、ことばを声にすることについて、真剣にならざるを得ない、何かを持っているから、きっ…続きを読む
物語を語ることば、その詩性を探して 2022年06月05日 「物語を語ることばは存在するのか。」 この記事は長文かつ、専門的な内容を含むので、興味のある方だけご覧になっていただければ幸いです。 ・ ・ 子どもは、就学して文字を習うまで、ことばを、周囲の大人が直接話しかける肉声に頼るしかない存在である。その肉声が物語を語るとき、「書きことば」ではない、本当に語りかけている、「語ることば」、というものが存在するのかどうか。 ・ 自分の経験した事以…続きを読む
いかに心を疲れさせるときも 2022年06月01日 いかに心を疲れさせるときも、 畑の草叢に座り、黙々と草を刈っていると、こころもちが鎮まりを見せる。 そういうときがある。 こうすることが、どこかで、良いことにつながっている、そんな気さえして。 そんな気さえして、また、黙々と草を刈る。 畑の作物は きっと それらのこころをみんな知っている そうして見守っている続きを読む
歩いて 2022年06月01日 そして、歩いて、歩いて、 少しだけ、壁を乗り越える糸口を見つけたような気がして、今度はそれに、一心に取り掛かった。 時間がかかる。何しろ初めてのことだ。 けれど、やり始めるうちに、手ごたえを感じ始めた。 ・ その間も、お菓子を焼き続ける。 お菓子は、いつも共にあって、 支えてくれていた。 それは、私が、作る、ということを通して、 支えてくれる。 そして、こうし…続きを読む