詩の核心と、アントロポゾフィーの核心

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三つ前のブログの記事。
長崎に住んでいる頃に書いた、「ある詩群」について、
今日は書こうと思う。

その詩群は、
「雨、その慈しみの中で」
という詩のまとまりとして残してある。

ちなみに、表題の詩は、
今2歳の雨光の、名前の由来となった詩でもある。


その詩作に、霊感を与えた山のことを少し書こう。

長崎の波佐見から有田に入り、佐賀の武雄市と西松浦郡の境にある
黒髪山という、修験道の山がある。
奈良に住んでいた頃は、
三輪山をはじめ、音羽山、
足を伸ばせば、熊野、吉野山、鞍馬山等、
近隣に、登拝する山が多くあり、
神社もたくさんあって、
よく通っては、参拝していた。

長崎に移ってからは、そのような場所、特に、山がなく、
物足りなさを感じていたのだが、
黒髪山はそのような信仰心を思い起こしてくれる、神聖さをもった山だった。
家族全員子どもたちも、お参りが好きなこともあり、
山とそのこころを参りに、そして、空海像と祠が参道に点在しているので
手を合わせながら登拝し、時々通っていた山だ。
その日は、かなり奥先にある、不動明王の祀ってある場所まで行った。

詩群がわたしに降りてき始めたのは、その二日後だった。
どのような詩作体験であったかは、
「妻も始めた言語造形」の記事に書いたとおりだが、
詩作後、1週間たった後、とても、こころに残るできごとがあった。


それは、その頃月一で大阪「ことばの家」で学んでいた
「普遍人間学」の講座で聞いた内容と、
書いた詩の内容が、その内実が、
まさに一致するように思われたのだ。

その「普遍人間学」は、(訳者によっては、『一般人間学』とも言われている)
R・シュタイナーがヴァルドルフ学校を始めるにあたり、
教師として立とうとする人たちを集めて14日間の連続講義を
行った講義録で、
アントロポゾフィー関係の人には説明不要なほど、
よく知られた著作である。

その中の第一日目(1919年8月21日)の講義の中で、
シュタイナーが、講座に集まった教師になろうとする人たちに向かって、
ある非常に重要なことを語ったそうだ。
しかし、その内容は、速記されなかった。
(本によっては、「そのことばは記述されなかった」ということばすら、省かれている)

というのも、シュタイナーが、速記者に、また受講生に、
「今は書くのをやめてください」
と、ペンを置かせて、
ただ、体験することのみに、集中してくださいと、言ったからなのだ。

そのときシュタイナーは、
受講生たち一人ひとりの手をとり、一人ひとりの目を、真剣にじっと見つめたという。
そのときのシュタイナーの真剣さは尋常ではなかったという。
これこそが、すべての根幹であり、それが故の、
アントロポゾフィー、そして、教育の基であるという想いが、
そこにこめられていたと感じるほどに。

その一人ひとりの握手と共に語られたことは、
速記されなかった。
しかし、三人の速記者が、そのシュタイナーが語ったことを思い出して、
手記の中に「そのことの内容」が記録として残っている。
そのひとり、ヘルバルト・ハーンの手記を取り上げたいと思う。

その内容は以下のもの。
アントロポゾフィーに通じていない方には
理解しがたい、読みにくい内容だと思う。申し訳ない。




ヘルバルト・ハーンの当初の、日付けのないノートから

「こう想ってみよう。わたしたちひとりひとりの背後に、めいめいの天使が立つ。
その天使が力を与えようとする。
わたしたちの上に、ひとりひとりの仕事の稔りと経験を
他のひとりひとりに担いゆきつつ、
大天使たちが輪舞する。
大天使たちが巡りつつ、担いつつ、勇気の器をつくりなす。
高みからアルカイのうちであもる、時代のよき精神が、
光の滴を器に落とす。そのとおり、アルカイが光の滴を贈る。」


……
そのような記述を、さらに、詳細に書いた手記がある。
その文の方が内容としては本意なのだが、あまりに長文で難解なので、
ごく一部のみ載せる。




ヘルバルト・ハーンの手記

(省略)
なりつつの教師会メンバーはそれぞれの背後に天使が立つのを、わたしたちは視る。
天使が守るべく任された地の人の額に手を添える。その身振り、その仕種をもって、
力を注がせる。その力がなされるべき仕事に必要なイマジネーションを送る。
(省略)
その輪のうちに、共に勤しむことにおいてつながる人たちの頭の上で、
ひとつの器がつくりなされる。
(省略)
観る人のまなざしがさらに高まって、アルカイの領分に達する。
かれらはまるごとが表れるのではない。
しかし、かれらの域、光の域から光の滴を勇気の器に注がせる。
わたしたちはその光の滴がわたしたちのよき時代精神によって、
すなわちこの新しい学校の基を据える人、
基を据えることの背後に立つ精神によって、
わたしたちに贈られるのを、感覚することが許される。
その光の贈り物のうちに働きかけるのが、
クリエイティブなイントゥイション(※霊的合一と訳される)の力である。
(以下省略)」




これらの天上での出来事、
光や、光の滴、器、勇気、といったものが、
「ある詩群」を書いた数日のうちに、内的な体験として、
わたしが精神の目で、観てきたことと重なるのだ。

だから、そのことが大阪の講座で語られたとき、
とてつもないリアリティーをもって、
わたしの中に響いてきた。
というよりも、ついさっきまで観ていたことだ、と感じたのだ。

お察しのとおり、その「光の滴」のことが、後日、
「雨光」の名前の由来である。

わたしたちのそばに、天使たちが、
ひとのこころの光を見つめている天使たちがいて、
その天使たちの上空に、さらに大きな天使がいて、
光の滴を贈っている。

その情景が、
そこに見える光や、そこに吹く風が、
わたしには数日に渡って感覚されていた。
それを感覚するためには、魂が、からだから離れるほどの状態でなければならなかった。

そして、そこで感覚されたことが、わたしにとって、ものすごく重要なことで、
そのことが、生きていることの中心でもあった。

ひとは、どこかで、そのことを知っている。
というのも、からだから離れる状態、夢見のようなとき、
わたしたちは精神の世界を、意識下の領域で体験している。

しかし、それを、わたしたちは、忘れてしまう。
大切なものほど、微かなもので、忘れ去られてしまいやすいもの。
だから、思い起こす必要がある。
残す必要がある。
語り伝えていく必要がある。

わたしが自分の子どもに、水声や、吹草、雨光にしても、
わたしの詩から名前をつけたのは、
「そのこと」を忘れないでほしい、
というわたしの願いがあった。
そうした詩作における、精神の体験があり、
大切なもの…、
目には見えないが、
大切なものがきっとあって、
お父さんはそのために生きたんだよ、と
そう伝えるときがいつか来るのかもしれない。


同じく、
そのことを、シュタイナー自身が心底、
真実だと思える学校の基に、その背後に、
目には見えないけれど、その力があるのだと、
尋常ではない真剣さで伝えたのだと思う。

少なくともわたしにとっては、
アントロポゾフィーの核心は、この精神世界にあって、
またわたしの詩作における中心は、
同じ、この精神世界にある。

この精神の世界が、
日常の人間の生活の姿に、人となりに、
どのように作用しているのか。
そのよろこびとは、ひとが何をたずさえていることなのか。

どのように、その中心にいたり、
それを生きることが出来るのか。

そのことの道が、わたしにとって、
詩作と言語造形をすることであって、
まさに、探ってゆくしかない道なのだ。



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『ゴドー舎』
言語造形レッスンのお知らせ

毎月第二・三・四火曜日。
○第二火曜 9:00-11:30(豊浦の公民館)
 次回は3月13日、4月10日
○第三・四火曜 9:30-12:00(ひびきの村)
 次回は3月20、27日。4月17、24日。
参加費:各4000円


◇体験会
3月22日(木)10:30-11:45(豊浦の公民館)
4月25日(水)9:00-10:20(豊浦の公民館)
各1500円・言語造形によるお話付き
ご予約お待ちしています。

◇公演
・3月18日(日)16:00-(25分程) in美呆喫茶店(ひびきの村)
「プチライアーコンサート」にて一遍詩を語ります。  
料金:無料


・4月14日(土)14:00-(約40) inコミュニティカフェ・アップル(豊浦)
「メルヘン2つと詩」を語ります。
「麻テラス」の服の展示のイベントとなります。
料金:前売り1200円 当日1500円 
 (中学生未満無料。4歳以上のお子様からご参加できます)

この記事へのコメント

  • ichi

    初めまして。ここ最近ことばにならない何かを言葉にあらわす、、そのことが自分にとってとても必要だと気づきました。そんな中ネットを見ていたら、稲尾さんに行き着きました。札幌在住なので(まだ道民になって数ヶ月)レッスンに伺うのはなかなか難しい現状ですが、いつかお会いできたらと思います。
    2018年03月13日 08:46
  • 稲尾

    ichiさん、コメントくださってありがとうございます。
    ことばにならない何かを、ことばにする…
    きっと、難しいことです。
    わたしは今、「思い起こす」ということをして、
    自分の内にある熱にふれ、
    その熱が、ことばを生み出すように感じています。
    そして、ことばにしようとすると、ことばそのものが、
    ことばにしようとする意志が、何かを残そうと、形にしてくれるように
    感じています。
    ということが、ちょうど、今日の朝、頭に浮かんでいて、
    今日のレッスンで、皆さんにお話したところでした。
    札幌でも、レッスンに3人以上集まってくださるなら、
    ぜひやりたいです。
    もし、そのような方が集まりそうなら、ぜひお声かけください。
    2018年03月13日 21:19
  • ichi

    稲尾さん、心のこもったお返事、ありがとうございます。とても嬉しいです。自分の中でことばの存在が今とても大きくなっていて、、上手く巡らせられたらと思うのです。まだ札幌に、北海道に来て日が浅く、知り合いもほんのわずかなのですが、出会った方にお声をかけてみたいと思います。いつか実現できますように☆
    2018年03月14日 08:47