「……詩情があったから」  ある牧師さんの話

詩情、ということばを、口に出した人がいた。
それも、そのことばを、しばらく、
こころの中で探すような時間をもって。

その時間が、こころに残った。
こころに残った。


   *


昨日の夕方、家のすぐそばにある、バチラー教会の礼拝に参加させていただいた。
いつもバチラー教会の庭や木々、駐車場の手入れをしている方と親しくなって、
だれでも気軽に来ていい会なんだよ、といわれていて。
いつか行ってみたいなと、思っていた。
私はキリスト教徒ではないのだが、
有珠(うす)に引っ越して、ジョン・バチラーさんのことや、
その養女バチラー八重子さんのことを知るにつれて、
ここ一二ヶ月で、バチラー教会という存在が、自分の中で、親しいものになっていた。

礼拝はこじんまりした会で、私たち家族のほか、5人ほどしかおらず、
アットホームな雰囲気だった。
「教派はまったく違うけれども参加しています」という方もいた。
開かれた場所なのだ、と、懐の広さを感じた。
ちょうど、奈良に住んでいた頃に月参りしていた、奥山にある、
観音寺のようなおおらかさを感じた。

初めての参加にも関わらず、牧師さんは、とても親しみをこめて、
私たち家族に話しかけてくださった。

礼拝中の、聖書のお話を、とても真剣に語られていたのが、印象的だった。
自分のことばで、自分のこととして、湧き上がってくるものを話すとき、
聖書の中のできごとが、イエス・キリストの行いが、
この時代に、新しく息を吹き返しながら伝わってくるようだった。
この牧師さんは、真剣に、このことを話し、真剣にこの仕事をしている――
そのように、感じた。

礼拝が終わって、みんなでお茶でも飲みましょう、と
お茶菓子を用意してくださり、息子たちが通う、いずみの学校のことも
何度も話されていた。
数年前、いずみの学校の人たちが、クリスマスコンサートのときに、
ハンドベルの演奏をしに来てくれたそうなのだ。

牧師さんは、もう3回、いずみの学校に行ったことがあるとおっしゃっていた。

バチラー八重子さんの和歌の話から、
私が詩を書き、語りをしているという話がでたときに、

「ここでも、いつか詩の会をしたいですね」と、
牧師さん。
そして、思い出したように、高校時代の生物の先生のお話をしてくださった。


その生物の先生は、あるときに、奥様を亡くされて、
その悲しみの中にあるとき、サーカスがやってきたという。
そのサーカスを見たときに、生物の先生は詩を書いたそうで、
その詩を、その生物の先生の最後の授業でお話されたそう。

その詩の内容は、若くして妻を亡くしたことや、なぜ、
自分が生物の教師になったのか、ということが伝わってくる、
すべてのことが腑に落ちる内容で、
振り返ってみると、それまでの勉強の授業のことは、あまり記憶にないけれども、
その最後の詩を語った先生の授業だけは、今も思い出す、とおっしゃっていた。

そして、同窓会にいくと、会った友人と、その詩のことを話すのだそう。



「詩の力って、あるんですよね」

と、さらりと牧師さんがいわれ、
そして、

「その詩の授業があったからか、いや、
そういうことを先生がこころに持っていたからか、
生物の授業を受けた人は、そのなんらかの影響があったんでしょうね…、
クラスの大半が、進学が、生物に関係するような方向にいったんです。
それは、その先生に、……詩情があったからだと思うんです」


と。

そのとき、詩情、ということばを、探りあてるのに、
数秒、考え込まれていた。
そのときのことが、印象的だった。


詩情が一体なんなのか、
詩情の意味するものが、あふれんばかりに伝わってくるような気がした。


詩情をもつとき、その人が語ることばには、きっと、
生きた力がはいってゆくのだろうと思う。


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* * * *


さて、今週末は、長野で特別な講座があります。
詩作、言語造形、こころの育み。

この中で、詩情に満たされたことばを、お一人おひとりが見出せる、
そのような時間となれるように、と思っています。

信州、伊那の深い緑にいだかれた大自然の中で、
ことばと、わたしが深まってゆきますように。
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