
「外を歩いていたら、のりへいさんの練習している声がきこえてきました。
それをきいて、そうだった、言語造形は、格闘技だった!
と思い出したんです」
久しぶりにレッスンに参加された近所に住んでいる友人が、
そんなことを言っていた。
そうかもしれない。
言語造形は格闘技。
ことばを話すことを、からだで行う。
からだをもって、取り組んでゆく。
いつも、いつも、心掛けているのは、
からだの動きから始めること。
身振りからことばを紡いでゆくこと。
ヨハネス・W・シュナイダー著「メルヘンの世界観」
という本の中で、
「さて、このようなイメージ意識あるいは神話的意識よりも、もっと古い意識の形式があります。
それは、こんどはイメージの意識ではなくて、運動あるいは動きの意識です。
ご存知のように、インドにはシバという神がいますが、このシバ神は踊る神さまです。
この神さまは考えたりはしません。ただ、からだを動かして、自然や世界のなかで
起きていることを一緒に体験します。からだを動かす中で、ものごとを認識するのです。
このような意識において、人間はからだをはげしくゆり動かしたり、踊りを踊ったりすることによって、
トランス状態に入ります。そして、その中で、世界を直接的に体験するのです」
と書いてあるところがあった。
これは、メルヘンの形式について書いてある部分であるけれど、
言語造形にも言えることだな、と
なるほどなと思いながら読んだ箇所だった。
動きによって、なぜか、ことばの指し示してるところが、わかる、という体験をする。
その、わかる、という感覚によって、
語ることばの響きが変わってゆく。
今日のレッスンの参加者の一人で、
からだの動きの中で、テキストのことばの底辺に流れている、
うねりのようなものに達した方がいた。
からだを動かす、動かす、ひたすら動かす・・・
その動きの中で、
作品の中の、熱のような、うねりのような、
泉に至る。
そこから、こんこんと、息と、ことばが湧き出るかのように
語ってゆく。
まさに、動きの意識からことばが紡がれたような一瞬だった。
「頭が空っぽでした。
はじめての体験でした」
とおっしゃっていた。
聴いているこちらは、本当に、ことばの生きている瞬間を感じた。
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毎週火曜日のレッスンの他に、
土曜日にもレッスンをしています。
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さて、次のお話会は・・・
◇「心をこめた小さなお話会」
7月20日(土)14時~ 豊浦・船見子供会館
演目:「絵姿女房」
◇「有珠の夕暮れ夏祭り」16時~18時半頃
8月15日(木)語りは18時頃~ ◇山崎家(有珠)
演目:怪談(ちょっと怖い昔話)「歯なし」
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