
(写真は、5月、大村湾に面した千綿駅からの夕景)
夏が過ぎゆこうとしている。
風とともに、雲が去ってゆく。
一日のうち、雲をながめる、という時間は、そうはない。
けれど、空に浮かぶ雲、という光景が
こころに感じさせるのはなぜなのだろう。
多感な時期に、空の向こうに思いを馳せていたときに、
長く雲を眺めていた。
空の向こうの静寂に
何かがあるような気がして。
夏が過ぎゆこうとしている。
風とともに、雲が去ってゆく。
この時期に、いつも思い出す詩がある。
大学時代によく読んだ、伊藤静雄という詩人の
「夏の終わり」という詩。
少し長いが、ここに全編を記す。
* *
夏の終わり /伊藤静雄
夜来の台風にひとりはぐれた白い雲が
気のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空を流れてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落とす静かな翳(かげ)は
・・・・・・さよなら・・・・・・さやうなら・・・・・・
・・・・・・さよなら・・・・・・さやうなら・・・・・・
いちいちさう頷く眼差しのやうに
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田(みずた)の面(おもて)を移り
ちひさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり
・・・・・・さよなら・・・・・・さやうなら・・・・・・
・・・・・・さよなら・・・・・・さやうなら・・・・・・
ずっとこの会釈を続けながら
やがて優しくわが視野から遠ざかる
* *
伊藤静雄は長崎、諫早(いさはや)の出身である。
諫早にぼくは縁があって、
当時、大村湾に面した川棚町に住んでいたぼくは、
諫早の高校に通っていたので、諫早近辺の風景を
ある程度こころに沈ませていると思っている。
それだからなのか、
この詩が、妙に、自分の夏の雲の思いを
かきたててくれる。
まるで、自分が見ていたあの風景、あの夏の空を
伊藤静雄も感じていたのではないか、
そんな気がしてならない。
こころに感じる、そうした心象風景を、
他者の中に感じ、見つけるとき、
それはある慰めのようなものを与えてくれる。
そして、かすかな希望のようなものを、同時に感じる。
さらに、そうした詩を、声として聴くとき、
なんともいえない、カタルシスを感じる。
忙しい現代にもてはやされるHow toの類ではなく、
わかりやすい、いい話でもない。
きっと、書き手の中に、深く淡く沈んでいる、
かすかな光のような風景。
そうした、感覚的なものが、微細な波となって、
こころを癒してゆく。
言語造形という、ことばを声にする芸術は、
そうした、かすかな風景を、よりたしかに、
ここに在らしめることでもある。
夏が過ぎ、雲が去ってゆく。
深く淡く沈んでいる、
かすかな光のような光景を、わが内に重ねさせ。
この記事へのコメント
山川光
私は伊藤静雄のこの詩に好感を持っている一人です。
偶然にあなたのブログを見つけました。
コメントを幾つか致します。
まず「あざやかなる暗緑の水田(みずた)の面(おもて)を移り」
の「る」は要らないと思います。
伊藤静雄の出身地である長崎、諫早は、
この詩人を大切にし、この詩人を生み育てた、
諫早を誇らしく感じておられるようです。
私は諫早には行ったことがありませんが、
そのお気持ちは大変よく分かります。
私は高校2年の現代国語の時間にこの詩に出会いました。
情景描写が大変簡潔で、目に見えるように分かりやすく 行われていて、そこに詩人の奥ゆかしい思い(私には想像しかできませんが)が投影されていて、私の心に快く印象に残りました。
伊藤静雄は京都大学を卒業した後、
大阪市に旧制住吉中学の国語教師として勤め続けた事を知り、
身近に感じました。
実は私は大阪府堺市に住んでいます。
伊藤静雄は戦時中に堺市の堺東駅の近くに住んでいました。
1945年7月10日に米軍による堺大空襲があり、彼の家も焼けました。そこで彼は元の家から少し離れた大阪府南河内郡黒山村北余部に移住しました。そこは私の自宅から自転車で10分程度で行ける土地です。
その後に彼は恐らく結核に苦しめられて、
近くにある国立大阪病院南分院に入院しています。
この病院は今も姿を変えて当時と同じ土地にあります。
大阪府河内長野市にあり、最寄りの駅は南海高野線千代田駅です。
この千代田駅一帯は丘陵地であり、なだらかな起伏があります。
周囲一帯を見下ろせる場所も、あちこちにあります。
彼は恐らくそのような場所で、この詩を着想したのであろうと、
私は想像しています。
「太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落とす静かな翳(かげ)は
・・・・・・さよなら・・・・・・さやうなら・・・・・・
・・・・・・さよなら・・・・・・さやうなら・・・・・・
いちいちさう頷く眼差しのやうに
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田(みずた)の面(おもて)を移り
ちひさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり」
と描写をしている その詩人の立ち位置は、
恐らく ここではなかろうか、
と思える場所が そこここにあります。
そういう事も 私がこの詩を身近に感じている理由です。
詩は、それを鑑賞する人によって、その人なりの思いで味わえばよいものです。私の感想をコメントしたのは、何か参考になればよいという思いからですので、そのようにお受け止め下さい。