言語造形の授業から、いろんなことまで

先週と今週の二週間は、本来なら、
高校生に言語造形を教える授業の時間でした。

大人ではなく、高校生に教えるということで、
とても考える時間を持ちました。
授業準備という意味でも。
学びたくて来ている少人数の大人に教えるのと、
通りすがりの客のように、
たまたま授業で受けている大人数の高校生に教えるのとでは、
感覚がまったく違います。

分かりやすく伝えられるようにするには、どうしたらいいのか、
入りやすく、また、楽しんで取り組めるようにするには、
どうしたらいいのか、考えます。

授業期間の前に、どれだけ時間を使って考えたか…
毎日のように、ノートにいろんなことを書いていました。

始まってみると、新型コロナウィルスの影響で
二日間だけで、今週は休校になってしまいましたが、
二日間の間で、なにか、つかんでもらえたかな…と思っているところです。


ぼくは26歳のときに言語造形に出会ったのですが、
そのときに、鮮烈に胸を打ったのは、
詩のことばを語った余韻によって、
空間の質が変わったように感じたことです。
時間空間が深まったように感じたというか、
それによって、生きている質そのものが変わったように感じたというか…

言語造形を何年もやっていくうちに、ようやくつかんできたことですが、
それは、からだも、息も、解き放たれ、
ことばが遠くに放たれていたから、
そのような意識が、余韻を生み、その余韻を感覚することによって、
空間の質そのものが変化したと感じたのです。

それは具体的にはどのようにして起こったのか。
それは、(要素はいろいろありますが)
文末における母音の響きに重きがあります。
その母音の音象の広がりによって、
そのような深化を感じたのだと思います。

またそこには、母音の響きに、からだ・意識が入っていること、
が必要になってきます。
身振りが助けになります。
初心者が動かずに、音象を追うことは難しいと思います。

何年も、からだと呼吸、ことばの織り成しあいを地道に稽古していると、
内なる身体…見えない意識の身体を、
呼吸の内に、織り成せるようになります。
けれど、それは、ずいぶん先の話です。

難しいのは、現在自分ができてしまっていることを、
できなかった頃のことを思い出して、
どういう感覚であったか、どうつまづいていたのか、
思い出して、そこを、上手く導き、引き上げることです。

解き放つ…という、はじめのステップが、
最初なのに、一番の難関です。
高校生にも、そういって始めました。
(最初に一番の難関があることが、この芸術の難しいところではないか、とも考えます)

声を大きく出すということではないのです。
声は小さくとも、解き放てるのです。

息を、解き放つのであって、
息を、量的な意味で「吐ききる」ことではないのです。
一息ごとに、息を一滴残らず吐ききることは、不可能ではありませんが、
からだに緊張が生まれ、それが、不自然さを生み出します。

息を吐くことにも、様々な要素があります。
イメージや感情がなければ、息を多く吐くことは、
からだに緊張をもたらします。
緊張がなく、自然な状態で、息をたっぷりと吐くには、
イメージや感情の要素が必要になります。
単に、音韻だけではないのです。

なので、母音の音象も、
そこに至るまでに、そのことばから、どんなイメージや感情が浮かんでいるか、
ということが大切になってきます。
つまり、自分が、どんな風に、その作品を感じているか…
イメージしているか…ということです。

そして、そのイメージも、からだ・ことばの取り組みにおいては、さらに先があります。

ぼくは、言語造形ということばを、ときどき使い、
また、あまり使わなかったりします。
というのは、自分が学んだ言語造形というものから、
それを土台にして、発展させているからです。
習ったことは、2割ぐらいで、あとは、自分が取り組みながら、
教えさせてもらいながら、見出していったことです。

けれど、そうならなければ、自分が分かっているところで話していないし、
習ったまま、自分がそう思ってもいないのに教えていては、
魂入らず、です。

言語造形に出会ったきっかけも、人それぞれだし、
感じ入るところも、それぞれだと思います。

ぼくは、詩作が最初にありました。
その詩作も、肺を壊したときに意識を失って、
あちらの世界を垣間見たことが発端です。

あちらの世界へ行くこと、
芸術はなんでもそうなのかもしれませんが、
ぼくの場合は、実際に体験として、それを感じたので、
その具体化として、やっていることが、ことばとお菓子と農です。
(農は生業にはしていないので、含める必要はないのかもしれませんが…)
どれも、その彼岸への道を感じています。
そのすべてが、ぼくの表現であり、仕事だといえます。
どれかが欠けても、というより、どれかだけ、ということになると、
いつも、身体を損ねてしまうからです。


言語造形において、語ることばは、空間の質を変え、
意識は、向こう側へ近づくことを感じます。
語っているとき、解き放ったことばの先で、
息を吐いて、息をもらうとき
肺の病で意識を失ったときに、あるトンネルをくぐったことを思い出しました。
そのトンネルをくぐる感じに、とても似ているのです。
(といっても、トンネルのほんの入り口ぐらいの感じですが…)

人は、生きていくうえで、気持ちの潤いをもって生きていたいと思います。
少なくとも、ぼくはそうなのですが、
その意識のトンネルは、こころの旅の道ともいえるのだな、と思っています。
そこを通ると、気持ちの潤いをもたらす…

美呆のお菓子は、味覚を通して、
こころが旅をするものだと思っていました。
そう思って、やってきました。
その、こころの旅も、やはり、あの、意識のトンネルと似ているのだということに
いまさらながら気づいたのです。

自然農は、作業中もよい時間なのですが、
作業の手を止めて感じるその解放の中で、
意識のトンネルを感じることがあります。

そして、それを、美呆と呼びました。

ことば、お菓子と、農…
形は違えど、同じことを目指し、行っているのです。

そして、どれもが大切なことだと思える。

ぼくは、本来、極端な性格で、これだと思うと、
そればっかりになってしまう傾向があります。


自然農を学んでいるときに、川口由一さんが仰っていることで、
印象深いのが、
「自然農がいいからといって、自然農と心中しないでくださいね。
農はひとつの要素です。芸術に、教育に、医に、あらゆる要素があるのです…」
と、一つに偏らないことを仰る姿勢です。
普通、自分の専門があったら、ビジネスでも、これだけやれば…なんてことを
推してしまいがちだと思うのですが、違うのです。
どれか一つに埋没しないことを、話されます。

けれど、底辺では、その認識の部分ではつながっている。
そして、認識そのものは、誰かの思想を用いて話していない。
自分の認識で、自分のことばで話されている。

これだ、というもの、そればかりを絶対視して、
そればっかりにならないように…
と、ぼくは、からだを損ねてきた経験から、自戒をこめて、そう思います。
川口さんに追いつけるはずもありませんが、少しずつ、少しずつ、
歩みをすすめていきたいと思います。


言語造形、授業になると、がんばってしまうので、
どうしても、偏りがちになってしまうような気がして。
でも、ぼくとしては、人生のあらゆるものが、有機的につながっていることを
話せたり、分かち合えたらなと思っています。

ようするに、わき道にそれたような話が、実は、
物事に中庸を与え、考え深くさせてくれる、ような。




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