夏の暑さの中で、言葉を失ってゆく。
言葉が消えるように溶けてゆくのだ。
同じように、暑さの中で、何かを失いながら熟してゆく感覚もある。
失われる言葉の中で、それらを語るのははばかられるような気がする。
気のせいのような、私一人だけが感じるような、そんな気がすることだから。
だから、そうした「感じ」をそれとなく伝える言葉にハッとする。
「この音楽は夏のような感じがする」
そういうときに、音楽に「それ」を感じていたら、同じものを感じていることを思う。
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私たちは、失いながら見出していかなくてはならないのだろうか。
そうあるために、夏があるのか。
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夏の、真昼の空の下の放心。
遠くなってゆく虫の声や、風が松を揺らす音を聴く。
聴くということは、受容するということだ。
そうして、新たなものを見出すということだ。
目をつむるということは、聴くということだ。
放心し、手放すために。
そこで、息が吐かれる。途方もなく、深く。
話すことが少なくなり、黙する人となる。
黙する人は、空白に余韻が走る様を見る。
黙して、内側の言葉が確かになってゆく。
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