言語造形に関わる、高等学校の講師として

「言語造形に関わる、高等学校の講師として」

先日、北海道シュタイナー学園いずみの学校で、教師向けに、言語造形の講座があった。
講師は、スイスはドルナッハの言語造形学校で学ばれた、岩崎晴江先生。会って早々、「あなたがのりへいさん^^」と話しかけてくださった、気さくでチャーミングな方である。

聞くと、ここしばらく、ドルナッハでは言語造形学校が閉じられていたそうで、開校されてからは、100年前の言語造形とは、ずいぶん変わってきていて、アップデートされているとのこと。

受けてみて率直に思ったのは、「ホッとした」ということだ。
というのはどういうことかというと、自分が学んできた言語造形、また、ぼくが学校で教えさせてもらっている言語造形と、基本的なところからまったく違っていたらどうしよう、と思っていたからだ。

それが、受けてみると、案外違っていなくて、講座では、基本的なところを全体的に学んだのだが、その全体は、自分が網羅できていることだった。あとは、そこから積み上げてゆくところで、人それぞれの個性が出てくると思うが、基本のところが違っていない、ということが、ホッとさせた。

言語造形は、現在のぼくにとって、「物語ること」を研究する、重要な観点の一つである。とはいえ、教えられたことをそのままやっているということはなく、自分の腑に落ちるところを教えさせていただく。自分の中にある、「ことばへの求め」に連なると思うから、研究もし、取り組み、伝えるのである。

教師が生徒に与えるべきものは、志の熱であって、高校生が心の底で求めるものは、その志の熱に触れることだと思う。おそらくは、教科そのものを学びたいのではない。何に己の生命を懸けているのかというところで、その教科・学問を感じとり、そこから学ぶのである。自分自身の最も深いところに火をつけてくれるものを、彼らは探し求めていると思う。彼らのまなざしは、そうだ。教師は、日々、自己を奮い立たせなくてはならない。

さて、そもそも、言語造形がシュタイナー学校で専科として教えられているところが他にない。だから、どんなことをやっているのかを相談したり、学びあう他の学校の教師が存在しない。ぼくは、孤立無援、手探りの中で言語造形を教えてきた。そんな自分としては、今回の講座は、特別に、ホッとするところがあった。

そもそも、詩や物語を、語ること・朗誦すること、(総じて、話すこと)に関することが、単位を取得する正規の授業になっていることは、大学でも稀なのだそうだ。最近読んだ20年前に出版された本の情報になってしまうが、20年前、国内では、熊本県の尚絅大学の文化言語学科にできたが、それさえ画期的なことだったという。

さらに、言語造形となると、ことばの一音一音に、身体とのつながりがあるととらえる。「そのようなとらえ方は言霊説というカテゴリーに入り、学会では認められていない」と、野口体操の野口三千三氏は書いていたが。(ご本人は、それでも、言霊説で行きたい、と探求をされた)そういったところを学んでゆく。

北海道シュタイナー学園いずみの学校は、本当に、特殊な学びに触れることのできる学校だと思う。まだまだ、勉強不足ではあるが、少しずつ、話すことばへの意識を高め、授業に反映していきたい。

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そんないずみの学校のオープンデーが、6月17日に開催されます。
ぼくは公演のためこの日はおりませんが、ご興味ある方は、ぜひ、ご来校ください。

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