声と詩に関する考察 ~母親の声を切り口に見えてきたもの~

「声と詩に関する考察」
~喃語期に赤ん坊が母親の声を真似する、という説から見えてきたもの~


私(たち)が求めている、「自分の声」とは、いったいどんな声なのだろう。
声が、魂のバロメーターであるのなら、どんな時に違和と感じ、どんなときに、正当だと感じるのだろう。

その問いに対する一つの方向性が、あるとき、ふっと浮かんできた。
同時に、その方向性は、私にとって、人生全体を通しての探求の方向性とも感じた。

6月に奈良で、「自分の声と、ことばに近づくワークショップ」を、友人と一緒に行ったのであるが、関西から帰路の途中、読書をしていたら、とある文章が目に入り、心に残って離れなかった。
(このことについて、しっかりと考えなくてはならない、また、書かねばならないと思っていた)

岡本夏木著「子どもとことば」岩波新書に、こういった文が書かれていた。
(この本は、発達心理学を専門としている著者が、子どもがどんなふうにことばを獲得してゆくか、ということが、述べられている。)以下引用文。


 ある学者(マウラー)は、身のまわりの世話と結びついて与えられる母親の声がまず子どもにとって快音声となり、子どもは自分の声をその母親の声に近づけてゆこうとする、そのための一人練習が喃語なのだという説を立てている。一人で淋しいとき、自分が少しでも母親に似た声を出せば、それが自分の耳に帰ってきて慰められるのだという。この説がどこまで妥当か論議の余地はあるが、発声そのものが快をもたらすからこそ、子どもはより積極的により意図的に発声活動を展開してゆくのであり、また、生理的要求や外的強制に縛られない状態にあって発声される声であるからこそ、さまざまに調音したり、組み合わせたりすることができるのであろう。ことばの獲得に先だって、子どもは先ず「音声の自由」を獲得しなければならない。(引用終わり。同書、104頁)


「喃語期にある赤ん坊が、喃語を発するのは、母親の声に似せるためであり、その(母親の)声によって、みずからが慰められるから」という点に、私はハッとし、また吸い寄せられた。

つまり、子どもは、誰もが、母親の声を真似して、似せようとする。また、その理由は、母親の愛情に起因する。

そして、この文章を読みながら私の頭に浮かんだのは、次のことなのだ。
赤ん坊に語りかける「母親の声」という時、それが、単なる、声質とか、声音のことではなくて、その時に母親の心に生じている、子どもへの「無償の愛のまなざし」が、声に反映されたたところの、ある種のぬくもりを、母親の声として、赤ん坊は受け止めているのではないか——。

そのことがなぜ浮かぶのかというと、次の実験のことが私の中に残っていたからだ。それは、産業革命の頃の、赤ん坊のことばの実験で、その頃は社会情勢悪化のため、捨て子が多く、その捨てられた赤ん坊を集めて行われたという恐ろしい実験で、赤ん坊の世話人は顔を隠し、赤ん坊に、愛情も、ことばもかけてはならない、目を合わせてもいけないというものだ。
その状況下で、子どもはどんなことばを発するようになるのかを調べる実験が行われたとき、例外なく、すべての赤ん坊が数か月のうちに死んでしまった。
赤ん坊が泣いても世話人が反応をしないと、赤ん坊の方も、徐々に、声さえ発さなくなり、しまいには、無表情のままであったという。

赤ん坊は、生理的な世話だけではなく、明らかに、愛情を必要としている存在でもある。そして、その愛情を一心に注ぐのが、母親の存在である、ということが、このことからも理解できる。

その母親の「無償の愛のまなざし」が、声を発する魂の状態であり、それを声から感じるから、その声を真似しようとするのではないか。そして、その愛のまなざしこそ、似せようと、近づこうとしているところなのだと、そういう想いが、私の心に浮かんだのだ。

また、そう思ったとき、私が無自覚に探求してきた様々なことがつながったように感じた。

「自分の声と、ことばに近づく」というとき、自分の声とは何なのか——。

自分の声で自分が慰められる(癒される)のは、その声を辿って、無償の愛を思い起こし、満たされるからだ。
こうも言える。私たちが、もっとも高き愛情に満ちる時、この地上に生まれ落ちたがゆえに生じた底知れない孤独を、みずから引き受け、みずから癒す声となる、と。

その声と、魂の状態が、きっと、誰の中にも、心の奥底深くに残っている。(残っているからこそ、生き延びている)その声に、近づきたいと、意識下では誰もが願い、求めているものが、そうした自分の声なのだと、そう私は考えている。

私の考えでは、その声は、同時に、抒情詩と重なってくる。
詩(情)とは、「現在(ザイン)しないものへの憧れである」と萩原朔太郎が詩の原理で述べている。私はそれに深く納得する。無償の愛のまなざしは、もはや、地上では、自己との関係においては過ぎ去ったものであり、存在しないから、それは憧れとして、意識下にぼんやりとした手触りとして、残るに過ぎない。
しかし、我々は、赤ん坊が愛情を注がれることを必要とするように、自分をごまかさない限り、もう一度、その神々しいぬくもりに手を伸ばさざるをえない。そこから世界を見つめようとするとき、その想いは詩情であり、そのことばが、抒情詩となる。
または、こうもいえるかもしれない。そこから世界を見つめようとせざるをえない欲求を持ち続けているのが、人間であると。


また、「母語」が、乳幼児期に、母親(と近親者)の語りかけることばであることを考えると、愛情に満ちた声から得たその母語、方言が、私たちにとって、何とも言えないぬくもりを感じるのは、当然のことといえるかもしれない。

私は、先月、なかば冗談めかして、「自分の作るお菓子が、どこか母語っぽいと思っている」と書いていたが、それは、あたらずも遠からず、私の求めているものを反映しているのだと、思い返している。

多少のことばは違えど、私の作るお菓子から「詩を感じる」と言ってくださる人は、実は、けっこう多い。「音楽が聴こえてきた」とか「ことばが聴こえてきそうな」とか、「ふわっと、どこかへ運ばれた」とか。その時に、そう言ってくださった人の心の中に浮かんでいる、詩(情)というのは、きっと、これらの、ぐるっとひとまとめにしたもののことだと、そう思っている。


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