「身動かざれば、こころ働かず」
~私、じつは、かなり抑えています~
身体を動かして、語りの稽古に取り組むことが、どれだけ「語り」を根底から変えて、いきいきとさせるのか、考えさせられた。
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先日のレッスンでのこと。
もう4年レッスンを続けている生徒さんがいる。
その生徒さんは幼児教育に関わる方で、園で幼児にお話をすることを前提に取り組んでいる。
幼児にお話をすることを前提、またその現場での雰囲気を前提として取り組んできたからか、おっとりとしたところから、なかなか抜け出せなかった。
今日取り組んだお話は、元気活発な内容のもの。
まず初めに、一度、生徒さんの語りを一通り聴かせていただいた。
悪くない。息も吐かれ、重要なところでの間もある。しかし、全体的にどこか物足りない。
生徒さんには、全体的で、具体的な点を、2点指摘した。
・一文一文の、イメージや感情を掘り下げること。
・目の前の聴き手に語りかけること
イメージや感情を掘り下げることを指摘した時、生徒さんは、
「そうですか、自分ではイメージしてきたつもりなのですが・・・」
と仰った。
私は、イメージや感情を掘り下げるのに、身体を動かし、また同時に、息を深く吐きながら行うことを伝えた。
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身体と息、この二つを十分に使い切り、この二つに、十分にこころを注ぐこと。
そうすることによって、イメージや感情が、自分の手足の先ににまで、意識の先にまで、沁みとおってゆく。浮かぶイメージに、感情が動くようになる。呼吸も動くようになる。
「身体、息、こころ」が、バラバラではなく、一体となってくる。
頭でこうだと思っていたところが、身体まで降りてくる。
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そして、その日、今までにないくらい、生徒さんはスイッチが入ったように、動いた。
勢いをつけて動く。
弾むように歩く。
リズムがついてくる。
弾むところ、ゆるむところ、足取りがリズムを刻む。
お話全体のリズムが、身体のリズムになってきている。
手先だけの身振りではなく、胸部まで動くような全体的な身振り。
息が、深く、ダイナミックになる。
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このように動けたのは、お話の内容自体が元気だったから、という理由もある。
(そういう意味では、初めに取り組む場合、元気なお話に取り組むのがいいかもしれない)
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動いた!
けれども、もう一歩踏こめる、と思ったので、そう伝えると、
「じつは、わたし、抑えています。」
と仰る。
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「抑えないでください。
今は、全部出し切ってやりましょう。出した方がいいのです。
感情の絶対量を増やすことが大切です。」
と伝えた。
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すると、出るわ出るわ。
生き生きとした、声やこころのうごめきが。
この生徒さんの、こんな姿は初めて見た。
これがもし、レッスンという閉じられた場ではなく、なにかの演劇の本番であったら、観た人はみなびっくりするだろうと思った。
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「身、動かざれば、こころ働かず」(久留島武彦)
である。
弾むように歩き、動くのだ。
そうして、一文一文に、イメージを頼りに動いて、その人物の驚きやよろこび、かなしみを、深い息と一緒に動き、感情を見いだすのだ。
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「言語造形の一つの指針として、『文の中に感情を見い出すこと』というものがあります。」
と、さらに私は、付け加えた。
感情というと、激しいものを思い浮かべるかもしれないが、その情感は、確かな力を持ったうごめきである。澄んだ情感である。表層のうごめきというより、「海の底に確かに光り動く、こころの動き」のようなものである。
たとえ静かに語っても、それは惹きつけられる魅力をもつ。
そうした確かなものが、動きながらの稽古の中で、見いだされてゆく。
「身、動かざれば、こころ働かず」
これを、座右の指針としなくてはならない。
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