レアンダー作品の練習

薫子さんとの、数回の練習を終えて、ようやく、前に進み始めた。
先日の練習では、僕はほとんど語らず、ずっと音を探す時間になった。
薫子さんには、大変な時間だったかもしれない。

レアンダー作品の語りに、ライアーの音を合わせるのだが、なかなか合わない。
合う曲を探してもらい、何曲も何曲も、薫子さんに弾いてもらうが、それも、どうも合わなかった。
シュタイナー幼稚園で歌われているという五度の音階の歌。
包み込まれるような雰囲気が素敵だが、作品には、どこか、しっくりこない。

これでもか、これでもかと探し、これで最後だと思って、ある楽曲を弾いてもらったら、とても合った。ああ、これだ!と思った。


楽曲の題名は、「教育者のための祈り」。
とても固い題名だが、シュタイナー教育では、教育者は、どこまでも、自分と向き合い、高く生きることを望まれるように思う。また、すべての大人は教育者である。
その感情を揺さぶるメロディは、神聖さを感じさせ、己の深みと高きに向かって立つことを思い起こさせる音楽であった。

薫子さんは、むかし、これを歌ったことがあったそうで、「すごくこころに響いた歌だったことを思い出した」と言った。



幼稚園で、幼子に歌われる歌と、明らかに違うメロディ。
自己の光、自分の尊い光を思い出すような音。

「思い出すからこそ、幼子に、注がれるものがあるのだ」
ふと、そんな思いがよぎる。

自己を思い出すからこそ、幼子にふさわしい光が分かり、注ぐことができるのだと。

教育は、きっと、「これこれこういったものがいいから与える」というものではなく、人間が本来の高い自己を思い出すから、おのずから、そこに生じる諸力のことなのだと思う。
方法は、それを型として、助ける手段であるだけだと。


レアンダーの二作品は、どちらも、大切なものを思い起こさせるような物語。
この作品が、広く聴かれ、音やことばが、こころに寄り添うものとなりますように。

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