『お話だけが映っている目』
言語造形 熊本講座が終わった。
今回で 3回目の 阿蘇であるが、 帰ってきたというような風景、大きな風景が ここにある。
今回の講座中、入門 ワークショップもあった。世話役の方が 毎回参加して 計4回参加しているが、毎回発見と学びがあるという。
そして今回、 新たな問いかけや、 母音 子音各音だけでなく 、実際にお一人お一人、言葉を紡いで体で捉えてみることも やった。
体を動かすということが「言葉を感じることを大きく 助ける」のだということを体験してもらった。
はじめ、言葉を動いている時は、 動くことに意識をとらわれがちだが、「感じること」 に意識を向けると、入り込み方が、俄然違う。
そして 言葉の音を組み上げる時、つまり空間を聴くとき、その時の目線は、 日常とは違う 目の使い方をしている 。
全体をぼんやりと見、奥の静けさを見つめているような目線。 そのような時、「主語性」 の変化 、「 私」の存在の仕方が 変わっているということがどこかに感じられたかもしれない。
僕は、 語りのあり方を探求することは、自 己 の存在の仕方を 探求することと重なっていると、思い至っている。
お話に1年間 取り組む コースでは、1人の方が、驚くほど上達していて、 というよりも、 ある語りの壁を越えていたので本当に驚いた。
実際、その壁を超えている人は、 本当にいないのだ。「 どうしてもうそんな風にできるのですか? お話と、身振りが調和して、聞き手に橋がかかっている。 これは本当に難しいことなのです…」
と尋ねたら
「 のり平さんの語りをたくさん聞いてきたからだと思います」とおっしゃった。
確かに この10ヶ月ほどの短期間で、 その方は8つものお話を 聞いてくださっている。 それがそうさせているのかと思うと、 たくさん聞いていただくことは大切だなと思った。
三年のレッスンより、生で聴くこと!
その方は、「のり平さんのように語れる人になりたい!」 と思って この講座を立ち上げてくださった方。 意欲があり、努力をすれば あっという間 なんだと思った。 (僕は10年かかったのに… )
お話会 には、 今までで一番たくさんのお客さんが! 子ども達もたくさん! そこで 印象的な出来事があった。一番最前列で聞いていた 小さい子数人が、 お話の途中 、本当にお話の中に入り込んでいた。
僕が着物で正座していたからか、 途中、その子らも ビシッと正座して座り直し、 目をギラギラさせて聞いていた。 その目はもう完全にお話だけが映っているような目だった。
こんな集中力で聞いている子どもを初めて見た。
・
カザルさん 今回もお世話になりました。ありがとうございました。 お蕎麦、美味しかったです! 次回は おかわりしたいな。 カザルの蕎麦と、時そばの語りセットとか、いいかもしれない😃
この記事へのコメント