演劇塾、始まりました

「演劇塾、始まりました」

先日、11月25日(月)、記念すべき、第一回目の演劇塾。
予想を上回るご参加で、祝福をいただいたような気持ちになりました。

皆さま、とても楽しかったと感想をいただき、終わったあとは、体がぽかぽか温まり、すっきりとした顔をされていたのが印象的でした。

声をしっかり出すことが、また感情を創造してゆくことが、体にエネルギーを生み出すということを感じました。

今回は、
 ・言語造形の基本的なこと
 ・呼吸法と発声法
 ・狂言の立ち方と姿勢について
 ・狂言のテキストを使って劇を作る

そんなことに取り組みました。

呼吸法や発声法は、なかなか難しかったようです。
たしかに、一朝一夕で身につくものではなく、呼吸法は、毎日やって二か月かかるものだそうです。ぼくは、いつのまにか身についていたので、どれだけかかるのか分かりませんでしたが、そういうものだそうです。

でも、一度身についたら、自転車の乗り方のように、一生もの。
深い息で、健康増進。血液を浄化します。
ぼくは10代で演劇を始めてから、すぐ慢性の鼻詰まりが治り、それ以来、鼻が詰まりません。



狂言の「立ち方」について、なぜ、あのような「型」があるのか。
それは、自己主張をなくすためなのだそうです。
古の日本人の美意識においては、自己主張があることが、美しくないこと、恥ずべき事、と考えられていて、それはとても徹底していて、生まれながら持っているものには、自己主張があると考えられていたそうです。たとえ元々美しい人であっても、その美しさは、自分のものであって、自己主張であると。
だから、立つことも、型にした。
型にすることによって、自己主張をなくすようにし、本来の芸に集中させた。

もうひとつ、型・様式という枠を作ることが、お客に対しての礼儀であったということです。
舞台という芸術が、お客に脅威を与えるものとなってはいけなかった。かならず、枠、ここから出ませんよという線があり、お客は安心して鑑賞する。その安心感が、芸術を深いところで味わうものにつながっていたそうです。

現代、刺激的なことばや映像が飛び交っていますが、そうしたところからは、正反対の世界だといえます。



狂言の劇を作るとき、今回は、「感情に体で形を与える」ということに取り組んでから、寸劇に入りました。
感情が体でつかめてくると、呼吸と一体となってくると、みなさんの声や表情が、より生き生きとしてきました。

「身振りのない言葉は、死んだ言葉」

とは、シュタイナーの言ったことですが、それは、やたらめたらに動いて話せという意味ではなく、
文に丁寧に向き合い、体の中にうごめく感情、そうしたものを探り、身振りにしてゆくこと・・・その体の内に生じる身振りの余韻が、言葉を生き生きとさせます。



寸劇を見て、みんなで笑いましたね。
ほんとに、楽しかった。




実は、数日前に辛いことがあり、
ここ数日、ぼくは、ここ数年で一番気持ちが沈んでいる日でした。
でも、みなさんのこの寸劇を見たら、なんだか、こころがスーッとして来たのです。なにかが、こころを流してくれた。
皆さまに、感謝申し上げます。

そして、私事ですが、
高校時代から演劇家を志し、大学も演劇が専門でしたが、
卒業後すぐに肺を病む大病をし、演劇ができなくなり、それから、21年たった今、人生で一番健康になり、巡り巡って、また演劇をするような運びになったこと・・・・
そのことに、ほんとうに、人生とは、不思議なものだなあと、思わずにはいられませんでした。


巡り巡っている間に、出会ってきたこと。
お菓子を作ること、畑に立つこと、詩を書くこと、語ること、教育に関わること、そうしたことを巡って、いま、新たな出発点に立ち、演劇に向かい合っているのだと思っています。


12月から、演劇塾では月二回の稽古(夜間)をします。
これからでもご参加できますので、興味のある方、お声がけください。


【12月の稽古日】
12月16日(月) 18時~20時
   23日(月) 18時~20時

*稽古場は、有珠です。個人宅のため、ご参加の方に場所をお伝えします。

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