永遠の結ばれとして
<永遠の結ばれとして>
6月1日に、福岡で予定していた朗読会が中止になった。
(5月の末から九州に足を運ぶ予定です。また別の会場で開催を予定しています。)
主催者のお母様が亡くなられ、朗読会の日が、ちょうど四十九日頃に当たるという。
急逝であったということで、ご心痛を察した。
お母様は八十五歳だったとのこと。
…
八十五歳と聞いて、ハッとした。
私の父も、ちょうど八十五歳である。
もう、だいぶ弱ってきているように思われる父。
この夏作ろうと思っている詩集「魂の花束」。
歌のささげものであるその詩集の上梓を、のんびり構えていてはいけないと思った。気を引き締め、進めていかねば。
*
親に捧げようとした詩集が間に合わなかった例がある。
室生犀星の「愛の詩集」は
僧であった父親に捧げる予定であったが、間に合わなかったという。
室生犀星の父は、犀星が詩を書き始めたころから、終生、
その詩作を励ましていたという。
だから、その父に捧げることは、犀星にとって想いひとしおのはずだった。それが、霊前に捧げることとなった。
けれども、たとえ霊前であっても、
そうしたことばは、
永遠の結ばれとして、届いていたと私は思う。
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