~稽古の初めに行う「息投」についての覚書~
稽古の最初に行う、「息を遠くに投げる」(息投)。
毎日毎日、なぜ、これを行うのか。
なぜ、これが大切なことなのか。
まず、息とからだを、空間いっぱいに解き放つこと。
これが第一。
息とからだは、日常生活のなかで、小さく凝り固まっている。
その凝り固まりを、解きほぐす。解き放つ。
遠く、深く、息を吐く。
その息に乗って、みずからの意識が、遠くへ運ばれる。
第二に、
遠くを見遙かし、耳を澄ますこと。
語りのなかで、遠さという距離が、深さに変わる。
深さは、耳を澄ます中で生じる。
耳を澄ますから、沈黙(静けさ)が深まる。
静けさの深まりが感じられない語りは、
生きていない。
画面の向こうのもの。
生きた人間が、リアルに、今ここに、
耳をすませば、そこの、沈黙の深まりが生まれる。
息投し、まずは遠くに耳を澄ます。
その遠さが、沈黙の深さに変わる。
息投し、遠くに耳を澄ます。
何度も、何度も。
息投し、遠くを見遙かす。
「遙か」を見、遙かなるものに、意識を重ねる。
無限なるものに、意識を重ねる。
そこを土台として、一息、ひと息が、
その無限なるものとの交感となる。
稽古の始めに、遙かなるものに触れ、
稽古のすべてが、遙かなるものと重なる。
吐ききった息、吸う息が。
そのように、稽古を重ねてゆく。
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