【京都大学新聞の書評に掲載】
そして、この新詩集刊行のタイミングに合わせたかのように、嬉しい知らせが。
京都大学新聞社から連絡があり、私の前作の詩集「ひかりのなかのこども」の書評が掲載されるとのことで、その書影を載せてよいかと確認があった。
「詩集」というジャンルが京大新聞の書評に載るのはあまり前例がないとのことで、光栄であり、また身の引き締まる想いだった。
そして、先日、掲載紙が拙宅に届き、書評を読ませいただいた。
かなりの紙幅を使い、しっかりと書かれていた。
「一目惚れというものが在るなら、この詩集との出会いはそれだったと思う」
という一文から始まり、静かで美しいものを心が求めている時は、本書の出番であると、紹介してくださっている。
そして、序詩である「聴かせておくれ」と代表作の一つである「彼方の山に」を取り上げ、思いが書かれてあった。
評者の言葉に、この詩集の特徴は「ストーリー性があること」と書いてあった。
だから、一フレーズを抜き出したりしても、全体の詩の持ち味や良さは伝えにくい、と。
「ストーリー性がある」との指摘は、言われて、
なるほどそうかと、自覚できた。
詩については、言われないと、なかなか自覚できないものだ。
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何よりも嬉しく感じたのは、冷たい目での言葉ではなく、この詩集に好感をもって、心動かされた素朴なところから批評を書いてくださっていることが分かることだ。
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詩の批評は難しいと思う。
自分の中にだけ収めておく感想ならともかく、客観的に他者に詩を評することの難しさ。それは、ややもすると、冷たいものになってしまいかねない。
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しかし、詩の良さ(価値)は、それを「良い」と思う人にとっては小さな宝物だ。
詩は、寄る辺ない文学とも言われる。萩原朔太郎によると、詩は、純粋な主観芸術で、時・人物など文学を構成する要素を必要としない。つまり、根拠は自分にあり、またなんの説明もなく、言葉だけがあるのが詩と言える。
言葉だけで立つ詩は、支えが必要だ。
それは、一生懸命ことばにし、話そうとする人に傾聴することのように。
傾聴することによって、言葉にならなかったものが、言葉になる。
言葉になることによって、人は救われる。
その、耳を澄ます場であるかのように、支えが必要だ。
それは、詩においては、共感する(心を動かされた)という立ち位置だと思う。
その立ち位置から書かれた批評に、温かみを感じ、喜びを感じた。
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長く続けていれば、こうして、拾っていただけることもある。
これからも、少しずつ、精進してゆきたい。
※掲載紙は、1月10日頃から京都大学新聞社のウェブサイトからも読めるとのこと。
よろしければ、書評もご覧ください。
京都大学新聞社→https://www.kyoto-up.org/
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