声と詩に関する考察 ~母親の声を切り口に見えてきたもの~

「声と詩に関する考察」 ~喃語期に赤ん坊が母親の声を真似する、という説から見えてきたもの~ 私(たち)が求めている、「自分の声」とは、いったいどんな声なのだろう。 声が、魂のバロメーターであるのなら、どんな時に違和と感じ、どんなときに、正当だと感じるのだろう。 その問いに対する一つの方向性が、あるとき、ふっと浮かんできた。 同時に、その方向性は、私にとって、人生全体を通して…

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秋空の中、思い出したこと  ~「珈琲道ぢろばた」での思い出~

秋空の中、思い出したこと 二週間ほど前に、転んでひざを痛めたので、しばらく、朝のジョギングを怠っていました。けれども、このところの、青い秋空につられて、ジョギングに出かけました。 (ジョギングといっても、半分は歩いたりで、散歩のようなものなのですが) しばらくぶりだったからなのか、外で体を動かしていなかったからなのか、それとも、ここ数日、内に入るような日々だったからか、秋という…

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「ぼくは、詩がわからない人だからさあ(笑)」

辻征夫著「私の現代詩入門」~むずかしくない詩の話~(思潮社)では、色々な詩人が紹介されているけれども、最後が谷川俊太郎さんで、その内容がすこぶる面白い。辻さんと谷川さんは知り合いで、半分対話形式となっている。面識のない誰それの詩人論を書くよりも、知り合いの詩人と会って、喋っている方が面白いことが飛び出てくるように思うのはぼくだけだろうか。例えば、谷川俊太郎さんが、「母親に愛されてきたという実感が…

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遠くからの音

 遠くからの音 詩を考えていると、詩は、 遠くから聴こえてくる音に似ているなと思う。 遠くから聴こえる音を聴くのが好きだった。 ふっと、 日常の喧騒から離れて。 晴れた日の風の音。 風が木々の葉をそよがせる音。 鳥の声。 雨音。 トタン屋根のポツポツという音。 空の向こうに消え入るような町の音。 夕暮れ時の家々の生活の音。 ラジオのような声。 料理の音。 …

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清水茂さんの詩「どんな葡萄酒を」

懐かしさと新しさ。まど・みちおさんの詩のことを書いていたら、ある詩を思い出した。詩人の清水茂さんの詩集「暮れなずむ頃」を手にしたのはいつの頃だったか。初めて読んだ時から、そのことばの繊細さ、ちいさなこころのふるえに、そっと寄り添うようなその詩に、引き込まれた。立ち止まらせるような感覚があるのに、次、次と、読む手は止まらなかった。読む薬のように、清水さんの詩集はいつも手元にある。少々長いが、清水茂…

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まど・みちおさんの詩の話

まど・みちおさんの詩の話  懐かしさと新しさ 少し前、「そのへんを」という、まど・みちおさんの写真詩集を読んだ。まどさんは近年104歳で亡くなられたが、この詩集は94歳の頃の作品である(ちなみに、同じ山口県出身の金子みすゞと4歳しか違わない)。その詩集の巻末に、写真家の方との対談が載っていて、そこに考えさせられることが書かれてあった。手元に本はなく、思い出して書いているので、少しことばは…

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詩ってなんですか 

開催が延期され、8月に開催予定となりました、 詩と絵の展覧会のこと。     ほぼ、絵の描きあがった画家の賢太郎くん。 (ぼくは、親しみを込めて、賢太郎くんと呼んでいます) 今回一緒に作品作りをして、毎週のように、作品のことや、こまごま打ち合わせをする中で、 よくよくわかったことは、賢太郎くんは 絵を描きながら、どのようにお客さんにこれを提供するのか、というところを意識して絵と芸…

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理由のない悲しみと詩

理由のないもの思いに沈んだり、死を思うようなとき、 藁をもすがるように、言葉に手を伸ばすのかもしれない。 言葉が、底辺を支えるから。 底辺に言葉が見つかることで、どこか慰められるようなこころで生きていくことが できるのかもしれない。 生きていると、寂しいことや、悲しいことや、憤ること、いろいろなことがある。 理由があればまだいいのかもしれない。 理由なく悲しむこころ、 理…

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朗読 と 朗唱

朗読 と 朗唱   実際に聴いていただいていない状態で、こういうことを書いて伝えるのは難しいと思うのだが、 ちょっと、思うことがあったので、書いてみようと思う。   ピアニストの友人からの依頼で、この時代に届けたいこと、をテーマに、詩の朗読を音声で撮って、 そこに音楽を添えて発信していきたいとのことで、ぼくに、詩の朗読をお願いされた。 自作詩「花と雲」をと思い、練習もして、朗読を録…

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丸一日

朝から、ほとんど一日中、 詩作に向ってすごした。 語りの方も、息子の稽古をつけただけで、 あとは、詩作に専念する。 6月の展示のためであるが、 こうして、自分の内にある、言葉になっていない想いを 言葉にしてゆく作業は、 形になることで、なんともいえない充足感に満たされる。 もし、丸一日かけて、ただの一行も進まなければ 費やされた時間の重さに、現実が打撃を加え、 …

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暮らしのなかの出来事が

山村暮鳥の詩集を読んでいると、ふとこんな詩が目に付いた。  *   憎悪のなかにも……     憎悪のなかにも愛がある その愛をたふとめ あるとき 着物についた草の実が しみじみと自分に この一つのことを気附かせた    * 生活の中で、ふとしたことの中に、このようなことを 見つけることが確かにある。 なにもな…

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書けない日のこと

どうしても、書けない日がある。 机に向って、ことばに向って、 じっと何かを見つめている時間がある。 それでも、書けない日がある。 ことばに導かれない自分がいる。 日記のようなものや、内容が決まっているものは、 そういうときでも書ける。 けれど、詩は書けない。 次の一行が、どんなことばが来るのか、 予測して書くようなことばではないこと。 見慣れた、予定調…

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夏の終わり

(写真は、5月、大村湾に面した千綿駅からの夕景) 夏が過ぎゆこうとしている。 風とともに、雲が去ってゆく。 一日のうち、雲をながめる、という時間は、そうはない。 けれど、空に浮かぶ雲、という光景が こころに感じさせるのはなぜなのだろう。   多感な時期に、空の向こうに思いを馳せていたときに、  長く雲を眺めていた。 空の向こうの静寂に 何かがあるような気がして。  …

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「……詩情があったから」  ある牧師さんの話

詩情、ということばを、口に出した人がいた。 それも、そのことばを、しばらく、 こころの中で探すような時間をもって。 その時間が、こころに残った。 こころに残った。    * 昨日の夕方、家のすぐそばにある、バチラー教会の礼拝に参加させていただいた。 いつもバチラー教会の庭や木々、駐車場の手入れをしている方と親しくなって、 だれでも気軽に来ていい会なんだよ、とい…

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詩集「涙の歌」のこと、詩情について

先日、京都にある恵文社さんから連絡があり、 取り扱っていただいていた詩集「涙の歌」が10冊全部完売したとの 報告をいただいた。 一年間も同じ本を取り扱っていただいていたのだが、全部、 どなたかの手に渡ったのだ。 いやまさか、全部売れるとは思ってもみなかった。 詩集は本当に売れないそうなのだが、しかも自主制作のものとなると ほんとに売れないそう。 だが、こうして…

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